広島城は
広島市中区にある平城で、国の史跡に指定されています。「鯉城(りじょう)」という別名でも親しまれています。
「鯉城」の別名: 太田川がかつて「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたことや、堀に鯉が多かったことに由来すると言われています。プロ野球球団「広島東洋カープ」の名前の由来にもなっています。
歴史
築城: 1589年(天正17年)、安土桃山時代の武将である毛利輝元によって築城が開始されました。太田川のデルタ地帯に位置し、瀬戸内海の交通の要所となるこの地が選ばれました。築城には、豊臣秀吉の重臣である黒田孝高(官兵衛)が助言したと伝えられています。
城主の変遷: 関ヶ原の戦い後、毛利氏は防長二州へ移封となり、代わって福島正則が城主となりました。福島正則は城の整備や城下町の建設に尽力しましたが、無許可で城を修築したとして改易されました。その後、浅野長晟が和歌山から入封し、以降、明治時代の版籍奉還まで約250年間、浅野氏が12代にわたって城主を務めました。
江戸時代: 広島城は広島藩の藩庁として機能し、城下町も発展しました。
明治時代以降: 廃藩置県により広島県庁が置かれましたが、多くの建物は解体や火災によって失われました。
原爆による焼失と復興: 1945年(昭和20年)の原爆投下により、天守閣をはじめとする多くの建物が壊滅的な被害を受けました。現在の天守閣は、1958年(昭和33年)の広島復興大博覧会に合わせて外観復元されたものです。
二の丸の復元: 1989年(平成元年)から二の丸の復元工事が進められ、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓などが再建されました。
特徴
平城: 丘陵や山ではなく、平地に築かれた城です。
輪郭式: 本丸を中心に、二の丸、三の丸などが階段状に配置された縄張りです。
三重の堀: かつては内堀、中堀、外堀の三重の堀が巡らされ、防御機能を高めていました。現在、水が残っているのは内堀と一部の中堀です。
連結式天守: 焼失前の天守は、五層五階の大天守に、三層の南小天守と東小天守が渡り廊下で連結された、壮大な複合連結式でした。復元されたのは大天守のみです。
多数の櫓: 江戸時代の絵図には、88もの櫓があったと記録されています。
見どころ
復元天守: 内部は広島の歴史や文化を紹介する博物館となっています。最上階は展望室になっており、広島市内を一望できます。甲冑の試着体験などもできます。
二の丸: 復元された表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓を見学できます。櫓の内部は展示スペースとして公開されています。
本丸跡: 現在は広場となっており、旧天守閣の礎石が残されています。
石垣: 福島正則時代に築かれたとされる石垣には、「刻印」と呼ばれる様々なマークが刻まれています。
被爆樹木: 原爆の熱線に耐え残ったユーカリの木が、平和へのメッセージを伝えています。
広島城址展示館: 広島城の歴史や構造について学べる展示施設です。
鎮魂のモニュメント: 原爆で犠牲になった広島城ゆかりの人々を慰霊するモニュメントがあります。
広島城は、単なる観光スポットとしてだけでなく、広島の歴史と文化、そして平和への願いを伝える重要な場所です。広島を訪れる際には、ぜひ時間を取って見学してみてください。